ウッディ・アレンの息子モーゼスがあの日に何があったのかを語る
ウッディ・アレンに対する性的虐待告発の経緯
まず、1992年8月4日に何が起こったのか。
コネチカット州のミア・ファローの別荘でのこと。ミアと友人ケイシー・パスカルは外出中。
モーゼスは当時14歳で妹のディラン(当時7歳)、弟のローナン(実名:サッシェ)、ケイシーの3人の子供、ナニーのクリスティ、ケイシー家のナニー・アリソン、フランス語の家庭教師ソフィ、そしてウッディ・アレンと大所帯で別荘にいた。
モーゼスによると、母親のミアは全員にウッディを監視するように言いつけた。なぜなら、7ヶ月前にモーゼスの姉スン=イー・プレヴィン(当時22歳。前夫アンドレ・プレヴィンとの間にもうけた養子)とウッディとの深い関係を知ってしまって怒り狂っていたから。
それ以降、ミアはマントラのように子供たちに対してウッディは”悪魔”、”モンスター”、そして、"スン=イーは死んだも同然”と言い続けた。
モーゼスは、あの日、兄弟姉妹の中で年長だったこともあり、また、母親から誉められたい、気を引きたいがためにミアの言いつけを真剣に受け止めていた。*1
ミアとウッディ、養子縁組した子供たち
まず、事件の真相に入る前にミアとウッディの法律上の関係だが、ふたりは結婚をしておらずパートーナーとしての関係であった。その上、彼らは一度も同居することはなかった、というなんともハリウッドらしい関係だったようだ。
ミアと前夫アンドレ・プレヴィンは1985年にディラン(男の名前で本当に紛らわしいが、ディランは女の子)を養子に向かえ、2年後にウッディとの間にサッシェ(現在の呼び名:ローナン)が生まれた。ウッディが49歳のときだった。
しかし、このローナン。現在32歳で#Metooムーブメントのリーダー的存在で最近メディアに顔が出ることが多いが、どう見てもルックスがウッディの子ではなく1968年にミアと離婚したフランク・シナトラにそっくり!!!(後にミアはひょっとしたらフランクの子かも、と発言してる。)
モーゼスは、1980年にミアが独身の時に7人目の養子として縁組され、1992年にミアはモーゼスとディランの親権をウッディとシェアする申し立てをし、ウッディとは法律上の父子となった。*1
スン=イーとウッディ
そして、スン=イーとウッディのことが公にされると、家庭内は一変したそう。
私も当時のことを良く覚えている。
どのゴシップ記事も、ウッディが養子縁組したスン=イーに手を出したかのようなヘッドラインだったし、当時は私もそれを鵜呑みにした。
しかし、モーゼスによると、スン=イーは養子縁組したウッディの娘ではない、ということ。そして、ニュースの殆どがウッディはスン=イーがアンダーエイジの時に付き合いだした、というのもだったが、それも間違い、としている。
スン=イーとウッディが初めて出会ったのはミアが彼らを引き合わせたスン=イーが20歳のとき。
もちろん、道徳的にそれが正しかったとは思わないし、家庭を壊したのは確か、でも、それはきっかけに過ぎなかった、とモーゼスは語る。*1
ファロー家
ウッディがミアと付き合いだす前からファロー家は全く家族として機能していなかったと語るモーゼス。
ここで、ミアの家族・ファロー家について話しておく。
ミアの父親は有名なハリウッドの映画ディレクターで、女づきあいが派手でアル中。ミアは性的虐待の被害者であると語り、ミアの兄ジョンは現在、児童性的虐待の罪で収監中。
もう1人のミアの兄パトリックは2009年に自殺。
ミアは、フランク・シナトラと離婚後、友人、ドリー・プレビンとその夫アンドレのところに身を寄せ、その後ミアは友人の夫アンドレの子供を身篭り、友人カップルの結婚を破綻させたばかりかドリーは精神病院に入院した。*1
事件の真相
話を1992年8月4日に戻そう。
ウッディだけが町に戻りると、ミアは友人ケイシーから電話を受けた。内容は、ケイシー家のナニー・アリソンが、ウッディが頭をディランの膝に埋めていたのをテレビルームで見た、と言っているというもの。
そして、ミアは、その場に居たファロー家に6年間勤めたナニーのモニカに対してこのストーリーをバックアップするように、と強要したためモニカは仕事を辞めた。
そして、後にこのモニカが裁判でミアが子供たちをコーチングしたと証言している。
モニカの証言。
「ミス・ファローがディランに”ディラン、ダディが何をしたの?次は?”と言うとディランは興味がなさそうだった。そうするとミス・ファローは録音を一時止め、そして、また録音を続けた。」
ディランのセラピスト、Dr. Nancy Schultzが証言台に立ち、”ミアがビデオを録画しディランに質問したことを批判する。録音の正当性を疑う”。と発言したところ、ミア・ファローによって彼女は解雇された。
モーゼスは当時、自宅前でメディアに対しウッディを批判する発言をしている。
しかし、今回のブログでモーゼスは、”当時は母親に認めてもらいたい一心であった。公の場で父親を非難したことを今までの人生において一番後悔している。また、告発後の調査官のインタビューに、僕は”板ばさみのような心境だ”と発言した後、ミアは叫びながら「何をしたか分かっているの?これで裁判は負けるわ!弁護士に連絡して発言を撤回する、そして記録から抹消するようにいいなさい!」と言われ、その通りにせずにはいけなかった。”*1 と記している。
捜査結果
今回、再びディランが公にウッディを告発したことで、モーゼスは捜査資料を閲覧することにした。
14ヶ月にわたる捜査がニューヨーク社会福祉部門、そしてYale/New Haven Hospitalによって行われ、それぞれ同じ結論に達した、という下記の内容が記されていた。
「ディランは、ミスター・アランによって虐待を受けていない。」
「ディランの発言は、母親によってコーチングされ影響を受けた可能性がある。」
「ディラン・ファローが、性的虐待を受けたという確固たる証拠はなかった。」*1
コーチング・影響・リハーサル
コーチング・影響・リハーサル、この3つのワードは、母親がどうやって僕たちを育てたのかを表現するのにぴったりだ。
数年が経ち、母親とすっかり疎遠になった。そして、何年もかけて自分を振り返り、カウンセリングを受け、私が愛し、そして私を愛してくれる人々のサポートで、母による私と兄弟姉妹たちへの仕打ち、そして子供時代の哀しい真実を受け止めることが出来た。
私たちに起こった真実にむけて目を覚ますことが出来て本当に良かった。残念なのは、ここまでくるのに長い期間がかかったということだ。*1 とモーゼスは語る。
未だにウッディ・アレンが非難を受けることについて
最後にモーゼスは、未だに父親が非難され続けることについて、そして、非難する人々へメッセージを送った。
私の父は、未だに”罪を逃れた”と疑問視され、ミアとその取り巻き立ちによって容赦ない不当な攻撃を受けている。しかし、ミアの告発は、2つの全く別の公的機関によって徹底的に捜査され、不起訴となったのだ。ミアの法廷での争いは、”虐待はなかった”という結末に至ったのだ。*1
ウッディ・アレンが有罪だと信じる者へ
昨今の#MeTooムーブメントの中で、たくさんの映画スターたちがたくさんの告発を受けている中で、父、ウッディは、たった一度、泥沼親権争いの中でミア・ファローから告発を受けただけだ。
父は60年以上も人前に出る仕事をしているが、今の今まで誰一人からも彼の振舞いを非難されたり、不適切な行動を取ったなどと言われたことは一度もないし、子供を性的虐待した、などと告発されたことはもちろんない。
私は心理カウンセラーとして、多くのケースを診てきたことから言えることは、子供に性的虐待をする人は何度も何度もそれを繰り返す、ということだ。
ディランは、子供の頃から何度と無くウッディと二人っきりになることがあったが、それまでは何の問題もなかったのに、ウッディは56歳にしていきなり、多くの人が家の中にいて彼を監視している時を狙って性的虐待嗜好者になった、ということを信じる人がいる。*1
ウッディと仕事をしたことを後悔していると言う役者たちへ
あなたは、大きな社会運動の”正しい”側に付かない恐怖感から、全く信用できない告発を材料に非難をする仲間に加わったのだ。
しかし、お願いです。ツィッター集団のヒステリーを信じ、25年前に捜査され不起訴となった告発内容を気軽にリピートするのではなく、これから私が言うことをよく考えてみてください。
結局のところ、私はあの場にいたのです。あの家の中、あの部屋の中、そして、父と母それぞれが何をしかねないのか、他の誰よりも私が一番知っている、ということを。*1
アメリカで『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』が公開されないことについて
徹底的に捜査され結論が出た事件に対して再度非難があがったことで、アマゾンスタジオが公開をキャンセルしたためにアメリカでは本作品は公開されていない。
ウッディ・アレンは、フランスメディアからのインタビューではこう発言している。
「アメリカで映画が公開されないことについては僕は全くなんとも思わない。世界でこの映画が愛されれば、ひょっとしたらアメリカで公開されるかもしれないし。」
インタビューアーが、以前ウッディが自分こそが#Metooムーブメントの顔になるべきだ、と発言したことについて問われると、「今でもそう思っている。今まで何百人という女優と仕事をしてきたが、誰一人として僕を非難した人はいない。僕は男優、女優に関わらず同じ金額のギャラをずっと払い続けて生きている。」と発言した。
詳細は、英語ですが下の動画でご覧になれます。
ここで記載されていることは、モーゼスのブログを引用し日本語に訳し、私の感想を加えたものです。
私の感想部分は青色にしてあります。
原文をご覧になりたい方は、こちらのモーゼス・ファローのブログからどうぞ。
引用:*1 http://mosesfarrow.blogspot.com/2018/05/a-son-speaks-out-by-moses-farrow.html
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