Netflix映画『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』あらすじ、ネタバレ感想 心温まるキュートな作品!
Netflix映画『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』は、ここ最近で観たラブコメ青春映画の中で最高に良かった!と言っても過言でないくらいのウィットに富んだ素敵な映画です!
アリス・ウー監督にとってはなんと15年ぶりの渾身の作品。笑って、泣いて、寂しくて、温かくて、胸がキュンとなって・・・といろいろな感情がめぐり、コロナ禍で荒んだ心を癒してくれました。
中高生はもちろん、思春期のお子さんと親御さんで観てもよし、夫婦で観てもよし、家族で観てもよし、とパーフェクトな映画です。
写真出典:Netflix
『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』作品情報
原題:The Half Of It
公開年:2020年
監督:アリス・ウー
出演:リーア・ルイス、ダニエル・ディーマー、アレクシス・レミール
上映時間:104分
配信元:Netflix
『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』あらすじ
中国系アメリカンのエリー・チュウ(リーア・ルイス)は、白人が住む田舎町に父親とふたりで暮らしている優等生。暮らしの足しにするためにクラスメイトの宿題を請け負う商売をしている。
ある日、ちょっとパッとしないアメフトチームのメンバーの1人、ポール(ダニエル・ディーマー)にラブレターの代筆を頼まれるが、あて先はアスター・フローレス(アレクシス・レミール)。学校一の美女で人気者で、エリーもひそかに彼女に恋心を抱いていた。
(c)Netflix
『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』感想
写真出典:Netflix
脚本・監督のアリス・ウーが、2004年に映画『素顔の私を見つめて…』でデビューした際は、自主制作映画を対象としたゴッサム・インディペンデント映画賞の新人賞を受賞し一躍脚光を浴びました。
しかし、その後、ウー監督はお母様の看病の為メガホンを握ることはなかったのです。それから16年が経ち、2作目としてこの『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』がリリースされました!
お話の中のエリーと同じでご自身もゲイで中国系アメリカ人のアリス・ウー監督。映画のテーマは彼女の経験からくるものが多いでしょう。1作目の作品と同じく映画のテーマは、マイノリティの恋と家族と一貫しています。
マイノリティの恋、そして三角関係
写真出典:Netflix
『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の恋愛模様は三角関係です。
ポールは、学校一の美女で人気者アスター・フローレスが好き。そして、エリーもひそかにアスターに恋心を抱いていました。
ポールがエリーにアスター宛のラブレターの代筆を頼んだことで、ポールとエリーは多くの時間を共に過ごすようになり、ポールはエリーに惹かれていきます。
エリーは、ラブレターの宛先がアスターだと分かった時点で代筆を一旦断りますが、3か月分の電気料金滞納があったため、お金のために一度は断ったラブレターの代筆を引き受けるのです。
アスターを長い間見つめてきたエリーは、アスターへ手紙を書くうちに、自分の気持ちを言葉に乗せるようになります。
その描写がとっても良かったです。エリーのウィットに富んだ言葉、そして、彼女のセンス良いユーモアがアスターをウキウキさせる様子などもとても可愛かったです。
それらの言葉に惹きつけられたアスターは、エリーが書いているということは知らず、ポールに興味を持つようになり親密になっていきます。
「その手紙を書いたのは自分なのに・・・」でも知られてはいけないエリーのアスターへの想い。
エリーの切ない心の叫びに観ているこちらまで胸が痛くなりました。
傷つき、傷つけあう
観ていて思ったのですが、どう考えてもラブレターの代筆は受け取った方は騙された気になり傷つきます。そんなことは誰だってわかっているのに、エリーは代筆を引き受けてしまった。
そして、アスターへの想いがあるのにポールにはそれを隠してアスターにラブレターを書く。それはポールを裏切る行為です。
なぜエリーはそんなことをしたのか?
エリーは溢れるアスターへの想いを抑えることが出来なかった。傷つけるつもりはなかったのに、傷つけてしまう。
私たちは、一生のうちに何度となくそのような間違いを犯し、そして自分自身に嫌気がさしてしまう。しかし、エリーの溢れる想い、そしてマイノリティーとして決してアスターに告白できないからこそ犯してしまった間違いなのかもしれませんね。
共感できる相手
映画の中の設定は、中国系アメリカ人のエリーとエリーの父親だけが白人だらけの田舎町に暮らしている、というもので、孤独感漂うものです。それに加え、エリーがゲイということを隠しているのが映画の出だしからうかがえ、エリーの寂しさも画面から伝わってきます。
そして、忘れてはいけないのがアスターも白人ではあるけどスペイン系で、彼らの血筋を大切にしている環境で育っている、という点です。(この田舎街では純アメリカ人でないのはエリーとアスターの家だけです。)
あるシーンで、アスターの父親が街の人々との会食中に、アスターにスペイン語で「ちゃんと淑女らしく座りなさい」と言います。
異文化の中で暮らし育った人には分かると思うのですが、自分のカルチャーを大事にしつつ白人文化の中で生活していると、ちょっと息が詰まる場面が多々あります。エリーとアスターは、そういう部分でも何か共感し合えるものがあったのかもしれません。
家族
写真出典:Netflix
この映画のもう1つのテーマは家族。
エリーと父親は、お互いを大切にし合っているのだけど、母親が亡くなった悲しみをひきずっており、家庭内に笑顔はありません。
英語でよく、these two are like peas in a podという表現がありますが、容姿・マナリズムなど全てがとてもよく似ている、という意味で、エリーと父親も全くその通りです。
父親は母親が亡くなってから覇気がなくなり、クラシックのモノクロ映画が大好きでテレビの前からほとんど動かない。エリーはそんな父親のそばでたんたんと生活している。
二人の暮らしはある意味温かくて心地よいのだけど、その反面、私には彼らのその暮らしは悲劇にも近いものもあるように感じられずにはいられませんでした。
いろいろな経験をしたエリーは、街を離れ大学に行くことにします。お別れのときに、父親はエリーに別れの言葉は一切言いません。その代わり、お父さんお手製の餃子をエリーに持たせてくれるのでした。
私は思わずそのシーンで号泣。私も父とのコミュニケーションはいつもこんな感じだったのです。私も母を小さい頃に亡くしてからは、お互い会話が減ってしまい、父は酔っ払って帰ってきては時々私の大好きなケーキを買って来てくれたのです。
その餃子のシーンに私はエリーの父親の愛情をとても感じました。あたかもエリーの父親が「エリー、行って来い!羽ばたけ!」と言っているかのように。
自分の気持ちに正直に
ポールとエリーが古い映画のワンシーン観ているとき。
男性が、電車に乗った女性を、列車が走り出しているにも関わらず列車を追う、というシーンでエリーが言います。「列車を追うなんて馬鹿だ。」そして、ポールが「でも女性は悲しそうだよ」と言うと、エリーが「じゃ、その女も馬鹿だ」と言います。
このやりとりからも、エリーの抑圧された気持ちのやり場のなさ、小さな田舎町でゲイとして生きることの辛さ、が上手く表現できていたと思います。そして、最後にエリーが街を離れるときに、ポールがこの「列車を追う」をエリーにします。このシーンも最高でした。
自分の気持ちに正直に生きることの愉しさ、爽快さ。そして、それが自分の周りのみなを幸せにするのだ、ということを改めてこの映画は教えてくれた気がします。Netflixでご覧になれます。
名曲と共に
エリーとアスターが、ふたりで森林の中に湧き出ている温泉に浸かっているときに流れる名曲は、アメリカの70年代のポップグループChicagoのIf you leave me nowです。
If you leave me now, you will take away the biggest part of me・・・というこの歌詞と共に映画の余韻に浸ってください♪
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