『ザ・クラウン』シーズン3 ヘレナ・ボナム=カーターがマーガレット王女に 感想と解説 1話~3話
Netflixイギリス王室ドラマ『ザ・クラウン』シーズン3全10話が配信されておりますが、シーズン1、2から全キャストががらりと変更されました。
中年期のクィーンエリザベス2世には、『ブロードチャーチ-~殺意の町』のオリヴィア・コールマン、そしてフィリップ殿下には、トビアス・メンジーズ、そしてマーガレット王女には、ヘレナ・ボナム=カーター、と大ベテランぞろいです。
『ザ・クラウン』は、史実に基づいたあくまでもフィクションですので、ここでは、シーズン3の1話から3話の内容で、皇族スタッフの中にソ連のスパイがいたのは本当?アバーファン炭鉱崩落事故で女王がすぐにかけつけなかったのは事実?など、ストーリーと史実の解説、あらすじ、観想、そして新キャストのご紹介をしたいと思います!
写真出典:Netflix
『ザ・クラウン』シーズン3
シーズン3は、1964年から1977年までが描かれ、シーズン1、2に引き続き、エリザベス2世の女王として、母親としての苦悩、そして、マーガレット王女の結婚、チャールズとカミラの恋愛、ウィンザード公爵の死、成長したチャールズ皇太子などに焦点が当てられます。
『ザ・クラウン』シーズン3 キャスト
オリヴィア・コールマン(役名:エリザベス2世)
写真出典:Netflix
オリヴィア・コールマンは、Netflixで配信中のシットコム『ピープ・ショー ボクたち妄想族』のソフィー・チャップマン役でブレイクしました。
『おーい、ミッチェル! はーい、ウェッブ!!』など多くのシットコムドラマに登場し英国映画テレビ芸術アカデミー賞のコメディ部門の最優秀女優賞を受賞。
その後は、『ブロードチャーチ-~殺意の町』で刑事エリー役で話題に、そして、『ナイト・マネジャー』でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞するなどの演技派として有名に。
トリビア情報としては、コールマンは、インタビューで、「『ザ・クラウン』には、優秀なボイスアクセント指導の担当者がいたにも関わらず、撮影の出だしでは、女王のアクセントを真似ることにとても苦労し、セリフを言えば言うほど、全ての単語の全ての音節が間違っていたような気がした」と発言しています。
正直、視聴者の間では、女王のアクセントとはだいぶ違うが、話し方などは似ていたためそんなに気にならなった、という声が多いようです。
参考:Telegraph
トビアス・メンジーズ(役名:フィリップ殿下)
写真出典:Netflix
2000年から、テレビドラマシリーズ『バーナビー警部』『刑事フォイル』などに出演。
2005年~2007年、テレビドラマ『ROME[ローマ]』でマルクス・ユニウス・ブルートゥス役に抜擢され、そして、2006年、映画『007 カジノ・ロワイヤル』では、ヴィリアーズ役を演じ知名度を一気に上げた。
その後も話題作のテレビドラマ、2013年、2016年、2019年、『ゲーム・オブ・スローンズ』、2013年『ドクター・フー』などに出演、2014年~2018年の『アウトランダー』では、一人二役を見事に演じゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされた。
女王役のコールマンが、女王のアクセントに苦労した、とありましたが、メンジーズのフィリップ殿下の真似は完璧でした!喋り方、アクセント、また音域も、目をつぶればまるでフィリップ殿下自身が喋っているように聞こえたと思います。
ヘレナ・ボナム=カーター(役名:マーガレット王女)
写真出典:Netflix
1985年、『眺めのいい部屋』、『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』で本格的デビュー。1997年、『鳩の翼』でアカデミー主演女優賞に初ノミネート。
2007年、話題作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』で、ベラトリックス・レストレンジ役を演じ、 また、同年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』でゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされた。
2010年、『英国王のスピーチ』ではジョージ6世の妻・エリザベス・ボーズ=ライアン(クィーンマザー)を演じ、英国アカデミー賞助演女優賞を受賞、アカデミー助演女優賞にもノミネート。
私生活では、2001年~2014年の間、事実婚であった映画監督ティム・バートンとの間に2子がいる。ティムの作品『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』、『アリス・イン・ワンダーランド』にもちょくちょく起用されていた。
『ザ・クラウン』シーズン3 あらすじと感想 史実を解説!
1話ー疑惑
写真出典:Netflix
あらすじ:
1964年4月、イギリス王室の顧問美術歴史家であり、前秘密情報部MI5(防諜が専門)の工作員、アンソニー・ブラントは、ソ連のスパイ網で、第二次世界大戦中にロシアに情報を流していたと白状。
アメリカ人工作員、マイケル・ストレートによって任務を解除されたアンソニー・ブラントは、バッキングガム宮殿で美術顧問として勤務。
逮捕後、情報提供の代わりに起訴が免除され、それによって2名の工作員の名前が明らかになったが、彼らは事情聴取後に自殺し、これ以上この事件が公になるのを恐れた秘密情報部MI6は、更なる捜査を終了。
そして、ブラントは、白状後も1972年まで皇室で働き続け、1979年にスパイとして世間に公表された。
イギリス王室美術顧問・アンソニー・ブラントは本当にソ連のスパイだった?
答えを先に言うと、YES!で殆ど史実に近い内容です。
まず、皇室の美術顧問だったアンソニー・ブラントが、ソ連のスパイ、ケンブリッジ・ファイブの1人でそれがバレたにも関わらず引き続き皇室に勤務していた、というのは事実。
(スパイ網5人全員がケンブリッジ大学出身であったため、ケンブリッジ・ファイブと言われるようになりました。当時、ソ連はケンブリッジで知的指数が高い共産党主義志向の生徒を工作員としてリクルートしていた。)
また、ドラマ内での、政治家ハロルド・ウィルソンがソビエトのスパイという噂は、実際にありましたが、時系列が違います。
エリザベス女王は病床のチャーチルから、すでに首相のウィルソンがKGBのスパイであるという情報を入手しますが、これはあくまでも陰謀説どまりです。
実際は、ブラントが白状した7ヵ月後の1964年10月にハロルド・ウィルソン率いる労働党が政権をとって首相となっています。
2話ー切り札
写真出典:Netflix
あらすじ:
1965年、マーガレット王女と夫のアンソニーは、ニューヨークでのアンソニーの本の出版発表を兼ねたアメリカツアーに出発。
一方、ウィルソン首相は、エリザベス女王に、イギリスはアメリカからの金融救済援助が必要であり、アメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領を招英して相談するつもりであることを述べるも失敗。ベトナム戦争でイギリスがアメリカを支援しなかったためとみられる。
マーガレット王女がアメリカ滞在中と知ったジョンソン大統領は、ホワイトハウスに招待。自由奔放で率直に意見を述べるマーガレット王女と意気投合した大統領は、金融援助に同意する。
イギリスの財政危機を救いメディアからも多大な評価を得て自信がついたマーガレット王女は、帰国後、エリザベス女王に更なる公務の分担を望むが・・・
マーガレット王女がアメリカとの関係を良好にし、イギリスの金融危機を救った?
マーガレット王女がイギリスの金融危機を救ったということは、実際にはありませんでした。
しかし、マーガレット王女と夫・アンソニーが1965年にアメリカツアーに出かけたのは事実で、1966年の王室経費報告で、このツアー費が莫大な金額だったため閣議で問題になった、という事実もあります。
(c)British Pathé website
ホワイトハウスに招待されたのは事実です。(1965年11月17日)
しかし、ドラマで描写されたような感じではなく、実際は、マーガレット王女は、短い乾杯の挨拶をし、ディナー、そしてダンス、というごく普通のものだったそうです。
1966年7月にアメリカによる金融援助はあったものの、マーガレット王女の渡米後もジョンソン大統領とウィルソン首相の関係は決して良いものではなく、結局イギリスパウンドは、1967年11月に幣価の切り下げが行われました。
また、アンソニーの本の出版発表会をニューヨークで、というストーリーラインも脚色で、アンソニーは、1965年に本は出版しておりません。
しかし、マーガレット王女とアンソニーがよく夫婦喧嘩をしており離婚のきざしが見えていた、というのは、事実に沿った演出です。
参考:Christopher Warwick’s biography ‘Princess Margaret’
3話ー悲劇の波紋
写真出典:Netflix
あらすじ:
1966年10月、南ウェールズのアバーファン炭鉱崩落事故で多くの児童を含む犠牲者が出たが、エリザベス女王は、ウィルソン首相の助言を無視し、現地へ訪問するのを控えた。
スノーデン公爵は単独で現地へ出向き、そしてフィリップ殿下は、現地での犠牲者の葬儀に参列。
イギリス全国石炭庁が非難されるさなか、石炭発掘現場の環境や整備、労働条件までもが問題となり事故の責任の矛先が政府に向き始める。
また、エリザベス女王が現地訪問を控えたことで国民から批判を浴びるようになる・・・
アバーファン炭鉱崩落事故でエリザベス女王だけすぐに現地へ行かなかったのは本当?
アバーファン炭鉱崩落事故は、1966年10月21日に28名の大人、そして116名の子供、合計144名の犠牲者を出したイギリス現代史の中でももっとも悲惨な事故と言われています。
ドラマの中では、採鉱廃棄物が山積みされた地盤が緩み、なだれ現象が起きて小学校や近辺の建物が襲われた様子が描写されましたが、事実です。
学校が始業を開始した直後の9:15になだれ現象が起き、パントグラス小学校を呑み込み、5人の教師、そして、109人の児童が犠牲となりました。
また、エリザベス女王がすぐに現場を訪問しなかった、そして、女王はフィリップ殿下を皇室の代表として現場へ向かわせた、というのも事実です。しかし、ドラマにあったような、葬儀への参列はフィリップ殿下はしていません。
ロバート・レイシー著の「The Life and Reign of Elizabeth II 」によると、女王は災害地に出向くという行為はパフォーマンスに見えてしまいがちな点を懸念したそうです。
自分が現場へ行っても実際に何も出来ず救出活動の妨げになる、と思ったということで、その部分はドラマ内でもそのように描写されていましたね。
また、ドラマの最後に表記されていたように、女王は、現地をすぐに訪問しなかったのは皇室として大きな間違いであったとし、その後は何度なくアバーファンへ出向き、遺族と対面し、記念樹を植樹したりと足を運んでいます。
また、アンソニーがアバーファンをすぐに訪問したのも事実です。
「ラジオで惨事のニュースを聞いた時、ウェールズ出身である私は行くべきだと感じたし、ウェールズが1つにならなければならないと思い、列車に乗り駆けつけた。」と、惨事から40年経った2006年にWalesOnlineで語っています。
また、アンソニーの自伝「Snowdon」によると、当時のウィルソン首相の日記には、こう記されていたそうです。
「アンソニー・スノーデン伯爵を高く賞賛したい。彼は現場へ急行し視察し、遺族らの手を握り、嘆き悲しむ母親に肩を貸し1時間以上も一緒にただ沈黙のなか座っていた。」
私は、アンソニーも女王も遺族を思う気持ちは同じだったと思います。ただ、アンソニーは芸術家で気持ちで行動するタイプ。一方、女王は慎重に物事を鑑み行動するタイプ。ただ、それだけの違いだったと思いますが、女王として行動し支持を得るには、一般庶民に分かりやすいパフォーマンスが求められるのかもしれません。
参考:「Snowdon」著:
itvニュースの動画↑では、50年後の遺族らは、女王が現地へ来てくれたことを評価しています。
『ザ・クラウン』シーズン3は、Netflixでご覧になれます。
参考:Robert Lacey「The Life and Reign of Elizabeth II 」
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