映画『だれかの木琴』解説 あらすじ、キャスト、ネタバレ感想
映画『だれかの木琴』は、直木賞作家の井上荒野さんの同名作品が原作で、ある平凡な主婦がストーカー行為に走ると言う物語で、ストーカ主婦役に常盤貴子が、ストーカーされる役に池松壮亮という豪華キャスティング。
アマゾンプライムで視聴したのですが、周りから”意味が分からない”という声がちらほら聴こえてきましたので、ここでは、映画『だれかの木琴』のあらすじ、キャスト、ネタバレ感想をしながら、私なりの映画の解釈をお話したいと思います。
写真出典:(C)2016「だれかの木琴」製作委員会
映画『だれかの木琴』作品情報
原作:「だれかの木琴」著:井上荒野
公開年:2016年
監督・脚本:東陽一
出演:常盤貴子、池松壮亮、佐津川愛美、勝村政信
上映時間:112分
配給:キノフィルムズ
映倫区分:G
映画『だれかの木琴』あらすじ
警備会社に勤務する夫と中学生の娘と東京郊外に引っ越したごく普通のアラフォー主婦の小夜子は、何不自由なく暮らしている。ある日、散歩中に見つけたオシャレな美容院で髪を切る。
その後、海斗と名乗った若い美容師からお礼の営業メールが届き、それに返信する小夜子。それ以降、自分でも訳がわからない衝動に駆られ海斗に執着し始める。エスカレートする行動に海斗の恋人の唯、娘のかんなまでをも巻き込こんでいく・・・
(C) 2016『だれかの木琴』製作委員会
映画『だれかの木琴』キャスト
常盤貴子(役名:親海小夜子)
写真出典:映画『だれかの木琴』公式サイト
役:夫と中学生の娘と東京郊外に引越したばかり。アラフォー専業主婦。
神奈川県出身、1972年生まれ。
1993年、ドラマ 『悪魔のKISS』で、風俗嬢役を演じバストを露にし当時大きな話題となった。現在は再放送すらNGとされている。
1995年、豊川悦司主演のドラマ『愛していると言ってくれ』で、豊川の恋人役を演じる。
2000年、木村拓哉が美容師役で大人気となったドラマ『ビューティフルライフ』では、難病を抱える車椅子生活の女性を演じた。
2003映画『ゲロッパ!』、2008年『眉山』、『ロス:タイム:ライフ』とドラマ主演が続く。2009年NHK大河ドラマ『天地人』お船の方役。
長塚京三の息子で劇作家・演出家・俳優の長塚圭史と結婚。
池松壮亮(役名:山田海斗)
写真出典:映画『だれかの木琴』公式サイト
役:美容師。ロリータコスプレショップに勤める唯と付き合っている。
福岡県出身、1990年生まれ。
10才でミュージカル『ライオン・キング』のヤングシンバ役にオーディションで選ばれる。
2003年、トム・クルーズ主演映画『ラストサムライ』で少年・飛源役でスクリーンデビュー。
2008年、映画『鉄人28号』で主人公・金田正太郎役で18歳で映画初主演。
2014年、TBS/WOWOWドラマシリーズ『MOZU』で双子の殺人鬼で一人二役という難しい役どころを演じ、第39回エランドール賞新人賞を受賞。
ちなみに2019年公開の映画『よこがお』でも本作と同様、美容師役を演じている。
佐津川 愛美(役名:真藤唯)
写真出典:映画『だれかの木琴』公式サイト
役:ロリータコスプレショップに勤めている。海斗の恋人。
静岡県出身、1988年生まれ。
初出演映画、2005年『蝉しぐれ』で、ヒロインの少女時代を演じ、第48回ブルーリボン賞助演女優賞にノミネート。
2006年、映画『真夜中の少女たち ーセンチメンタルハイウェイ』で初主演。2007年、映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で、第50回同賞の助演女優賞と新人賞にノミネート。
2012年、人気テレビドラマ『最後から二番目の恋』の大橋知美役で一気にお茶の間に名前が知られるようになる。2019年『モンローが死んだ日』では精神を病んでいる難しい役どころに挑戦。
最近では、テレビシリーズ話題作『おっさんずラブ-in the sky-』の橘緋夏役が記憶に新しい。
映画『だれかの木琴』ネタバレ感想
写真出典:映画『だれかの木琴』公式サイト
本作品『だれかの木琴』は、直木賞作家、井上荒野による同名小説をもとにして作られています。
監督の東陽一さんは、本屋で色々な本のタイトルを見ていた時にひとつだけ内容が想像出来ないものがあって、それが『だれかの木琴』だったそうです。
監督は、読書後、”様々な解釈が持てる余白のある内容に惹かれた”と仰っていますが、私も数々あるDVDの中からタイトルと常盤貴子、池松壮亮出演、という、予備知識ゼロでこの映画を選びました。
ストーカーになる小夜子
美容院でたまたま自分の髪を担当してくれた美容師、青年・海斗にどんどんと執着していくアラフォー専業主婦小夜子・・・
なんだ、ただのストーカーの話、と思うかもしれませんが、この物語の小夜子は美人で夫も子供いるステレオタイプのストーカーとは違います。
著者の井上荒野さんが言ってましたが、”ストーカーってストーカーとして生まれてきたわけではなく、ある時からだんだんとなっていくもの。"そうなのかもしれません。
小夜子の場合は、営業メールへの返信に始まって、髪がまだそんなに伸びてないのにまた美容院を訪れて海斗を指名する。
ここまでは、よくありがちなことだと思います。オシャレなお金をもてあましている専業主婦だったら、ひと月に何度も美容院へ行くでしょう。営業メールへの返信もITリタラシーがないアラフォーのおばちゃんだったらやってしまうかもしれません。
ふ~ん、こういう人いそう。と思って観てました。
しかし、この後、海斗の家のドアノブにイチゴを「たくさん買いすぎて食べきれないのでお届けしました」と届ける辺りからいや~な雰囲気になってきます。同時に海斗も「なんだこれ?!」と嫌悪感を覚えます。
そして、海斗に対する執着心は暴走し、いきなり海斗の家を訪れドアベルを押してしまいます。
ここでの常盤貴子さんの演技が最高でした。
海斗は、社交辞令で「汚いところですが」と言うと小夜子は、すぅーーーっと吸い込まれるように海斗の部屋に足を踏み入れるんですよ。
海斗の家にいた唯と、海斗と小夜子がテーブルを挟んで会話をするシーンなんてもう、ぎこちなさと怖さで観ている方はハラハラなのですが、小夜子は自分がここにいるのは当たり前かのような態度。それが怖かった!
さすがにやばいと思った海斗は店長に担当の変更を頼むのですが、「担当って特別な存在なんだよ」と諭されるばかり。
そして、さらに小夜子の海斗へのストーカー行動は拍車がかかり、唯の働くお店に行ったり、海斗行きつけのバーに行ったりして、唯の怒りを買います。
唯が海斗をひきずって小夜子の家に怒鳴り込み、小夜子の旦那に「お宅の奥さんストーカー行為してるんですけど」といういわゆる修羅場になるわけですが、さすが会社員の夫は妻を守り唯がおかしいことをしているかのように事を収めます。そして、怒りにまかせて暴言を吐いている唯のほうが、”おかしい人”に見えてしまっているから皮肉です。
分かりづらい危険人物
ここで、気になったシーンがあります。
ある日、海斗が働く美容院にひとりの男性客が訪れ、難しい注文を出しそれをやんわり海斗が指摘するとプチッとキレ、女性先輩美容院が機転を利かせその場を丸くおさめるのですが、その後その男が警察に捕まったニュースが流れるのですが、これだ!って思いましたね。
案外、こういう一見すぐ”危険”と分かる人物もいれば、小夜子のように分かりづらい”危険人物”もいる、という日常に潜む恐怖を監督は表現したかったのではないでしょうか。
なぜ、こういう人物になってしまうのか??
セキュリティシステム
小夜子たちが暮らす家は夫が働く警備会社のセキュリティシステムを設置しているのですが、セキュリティ解除に失敗してアラームが延々に鳴り響いたりするのは、ストーリーの緊張感を煽るのに一役買っていて、見ている私も心臓がドキドキしてしまいました。
そして、母親の不可解な行動に対し不安になった娘かんなが父親に「外からじゃなくて、家の中で怖いことが起こったらどうすればいいの?」というのですが、この一言に思わず「うまい!」と思いましたね。
どんなにお金があってもセキュリティ対策が万全でも、家族の誰か1人の心が壊れ始めると、家庭内は一気に不安で包まれていってしまう、という娘の純粋な不安が伝わってくると同時に共感できるものがありました。
ラストシーン
最後は、小夜子が「ごめんなさい。迷惑掛けて」と言い、夫が「ごめん。仕事ばかり考えてた」と言い、その日を境にストーカー騒ぎは収まったかと思いきや、小夜子は今度はストーカーターゲットを夫の部下に代えただけ、という。
ストーカー行為というのは、きっと自分を全く俯瞰できてないから起こるんでしょう。そして、依存症的傾向がある人は、あることをきっかけに快感を覚えて何度も同じ事を繰り返してしまう。
万引き癖のある人が、つい万引きしてしまう、そういう感じなのかもしれません。
タイトル『だれかの木琴』は、なぜ木琴?
タイトルの木琴ですが、なぜ木琴なのでしょう?
井上荒野さんのコメントも見つかりませんでしたし、東監督の解釈も”見ている人それぞれ”とおっしゃってました。
私の解釈は、たぶん・・・木琴=孤独、なのかな、と思います。木琴ってイノセントな響きだけど、すごい孤独が漂うトーンの音を出す楽器だと思うんです。
小夜子の孤独、娘かんなの孤独、夫の孤独、そして一番孤独そうでない海斗もいろいろな葛藤を抱えている。
だから、だれかの木琴、なのかもしれません。
まとめ
この映画を観た多くの人が、「で、何が言いたかったの?」「意味不明」と感じたそうですが、監督はそれを聞いてニヤリとしてるかもしれませんね。
その余白の部分を感じて欲しかったのではないでしょうか?
人生において、日常において、結末があることってどれくらいあるでしょうか?
友人とある一言が原因で疎遠になる。
子供同士がケンカして、ママ友とは挨拶はするがただお互い距離を置くだけになった。
恋人が突然心変わりして、理由が分からない。など、世の中、見渡してみると白黒つけられないことばかりで曖昧なことだらけです。
監督は「答えはないよ、自分で感じて考えてごらん」と言っているような気がしたのです。
この映画は何が言いたいの?と思いながら観るのではなく、無心になってそこから何かを感じ取ってみてください。世の中グレーなことばかりだ、と思うとなぜだか少し気が楽になります。
映画『だれかの木琴』は、アマゾンプライム、DVDでご覧になれます。
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